2010年11月01日

作家・齋藤智



水嶋ヒロの名前を捨て、作家・齋藤智として、生きていく。
そん名、決意の現れた会見であった。
決して、驕ったところがない。
これから、何を追いかけて作品を造り上げていくか・・。
それが、はっきりと見えている。
小説を書きたくて、小説を書いたことが、好ましい。
タレント作家・エッセイストとは、一味も二味も違う作家の誕生である。
「命」
誰でも、ぶち当たるテーマである。
これから、この命をテーマとする作品を、幾つも生み出していくことを期待するし、彼なら、書いてくれるであろう。
自らも言ったように、水嶋ヒロの名前は、捨てたのである。
報道も、齋藤智と読んであげたらいいのに・・。
作家として、書くテーマが、見えていることが、逞しい。
出版不況の中、ポプラ社という児童書の老舗・出版社から、出てきたのが、嬉しい。
きっと、水嶋ヒロこと齋藤智も、本好きな若者に違いない。
そう確信した授賞会見であった。
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時代に挑戦する幻冬舎と見城徹



幻冬舎は、好調な出版社である。
その幻冬舎が、一番、対応が早い。
その変化に対する柔軟さが、この出版不況の中、好調な理由である。
その幻冬舎出さえも、黒船が怖い。
その黒船とは、電子書籍である。
この電子書籍に対する対応を急いでいる。
老舗の古い体質の出版社は、乗り遅れることは、確実である。
いずれにしても、幻冬舎は、思い切った手を討ってきた。
さすがは、出版界の風雲児・見城徹である。
あくまでも、時代に挑戦していく気概は、見事である。
生き残らなければ、どうにもならないのである。
胡坐をかいている場合ではない。
黒船は、着実にやってきている。

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2010年10月31日

あびるやすみつ 「本気で稼ぐ為のアフィリエイト」の真実とノウハウ

ただのアフィリエイト本とは違う。
胡散臭いと見られ手いるアフィリエイト業界の裏側を書いている。
儲ける方法ばかりが、書かれている本が多い中、珍しい本である。
楽に稼げる方法などないのである。
これは、永遠の真理である。
なかなかこの業界の裏側を見せてくれる本はない。
その点で、貴重な本である。
業界の問題点なども、書かれている。
やはり、生き馬の目を抜く厳しい世界なのである。
しかし、その点は、他の業界も同じ。
決して、夢みたいなことは、書かれていない。
10%の勝ち組に入るには、それ相応の努力が必要なのである。
当たり前のことを書いていることが、好感が持てる本である。
誰でも簡単にできる方法では、稼げない!
やはり、ビジネスは、厳しいのである。
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2010年10月24日

吉村昭「史実を歩く」

吉村昭「史実を歩く」
記録文学の旗手・吉村昭の創作秘話である。
史実小説を書く上での、心構えと厳しさが書かれてある。
必ず、現場の足を運ぶ。
しかも、その数は、尋常ではない。
武蔵」を書くための長崎。
長英逃亡」を書くためにその地を訪れた数は、10回や20回ではない。
長崎などは、70回あまり。
たった、三行のために、飛行機に飛び乗り、鹿児島へ・・。
生麦事件を書いた折のリチャードソン暗殺を書いたときのエピソードである。
薬丸示現流の凄まじさが、伝わってくる。
斬り捨てた後、リチャードソンを斬った奈良原の刀は曲がり、鞘に納まらず、布で、ぐるぐる巻きに巻いて、引き上げたなど、そのリアルさは、足で調べて書いたものである。
テレビなどの時代劇とは、まったく違う歴史劇。
それが、吉村昭の世界である。
事実がもたらす感動を、吉村昭は書いている。
そのためには、200枚以上書いた「桜田門外の変」を惜しげもなく焼くことも辞さない。
歴史小説を書く厳しさ。
歴史は、国民の財産。
決して、いい加減に書くことはできないのである。
たとえ、小説としてのフィクションを混ぜるにしても、決して、面白半分に歴史をいじくってはいない。
事実が、持つ重み。
この重みをいい加減に扱ってはならない。
歴史は、歴史、それ自体が、面白いのである。
このことを、吉村昭から教えて、もらった。
史実を足で歩きながら書く。
その小説作法を、吉村昭から教えてもらった。
司馬遼太郎と較べると、その文体は、抑えが効いている。
文章が、軽くないのが、歴史小説に合っている。
このことは、吉村昭が、純文学の作家である事が、優位性をもたらしている。
記録文学。
史実小説を、書かせると吉村昭の右に出る者はいない。
このことは、吉村昭が描く史実小説以上に疑いのない事実の用である。
決して、読み疲れることはない。
そんな吉村昭の記録文学の舞台裏を描いたエッセイ集である。

吉村昭「史実を歩く」
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2010年10月21日

吉村昭 「戦艦武蔵」

武蔵。
日本海軍の象徴・大和の姉妹艦である。
大和の方が有名であるが、その装備・力は、武蔵の方が上である。
このことは、この書で知った事実である。
その武蔵の生涯を描いた小説である。
しかし、その中身は、戦争の虚しさの象徴としての武蔵を表現している。
決して、飾らない文章が、この戦史小説を卓越した記録文学として、我々読者を圧倒する。
決して、歴史を軽く見ない姿勢が、私好みである。
事実の重みを思い知らされる小説である。
もしかして、小説と言う言葉は、当てはまらないかも知れない。
武蔵は、当時の国力の総力を挙げ、国民・作業員の想像を絶する犠牲のもとに建造された、最新鋭の巨大戦艦である。
当時は、不沈艦と呼ばれた戦艦である。
しかし、けっきょく、尊い生命と国力をムダ使いをするしかなかった。
それが、歴史の事実である。
戦争の虚しさ。
その象徴として、武蔵の生涯を辿っている。
この感情を極限まで排した文章が、戦争が、いかに虚しいものか物語っている。
歴史。
それは、返って、人工的に細工するこちで、重さがなくなる。
事実こそが、物語る。
それが、吉村昭の世界である。
「これが小説?」
そう疑問を感じる者もあるだろうが、文学である事は、間違いない。
武蔵は、戦争の虚しさを語り継ぐために、建造された。
そう思わせる小説である。
事実に対し、妥協しない。
だからこそ、この迫力が、文章から、湧き出るのである。
簡単な嘘には、大衆は騙されないのである。
ギリギリまで、事実を追い求める。
それが、吉村昭の文章を書く上での、誰にも譲れない姿勢である。
歴史の重み。
それを、いつも、感じさせてくれる作家。
それが、吉村昭である。
武蔵。
戦争の愚かしさの象徴として、描かれている。
アニメの宇宙戦艦・ヤマトと対極をなす小説である。
小説?
いや、立派な記録文学である。

戦艦武蔵 (新潮文庫)

戦艦武蔵 (新潮文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/11
  • メディア: 文庫



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2010年10月18日

吉村昭 「ひとり旅」


ひとり旅


歴史小説作家・吉村昭の随筆集である。
純文学が、本職かもしれないが、私は、歴史小説の法を高く買う。
その事実を尊重する姿勢と冷徹な文章は、司馬遼太郎以上ではないか?
その事実そのものを大事にする姿勢は、小説に重さをもたらしている。
そんじよそこらのお手軽な小説ではない。
たった三行を書くために、鹿児島行きの飛行機に乗り込む、事実を追うためには、金とヒマを惜しまない。
ッ小説というよりも、ドキュメンタリーという表現が、ピッタリであろう。
フレデリック・フォーサイスも、その舞台をたびした柴田錬三郎によると、なにからなにまで、その小説そのものだったらしい。
吉村昭も、徹底したディテールに拘る。
この細部に拘る姿勢が、その小説に重厚感と緊張感をもたらしている。
決して、読んでいて、だれることがない。
それが、吉村昭の小説である。
日本にも、F・フォーサイスのような作家が、いたのだ。
その小説の舞台裏が、覗ける随筆である。
歴史に対する思いには、感嘆するのみである。
その小説を書く秘訣は、一人で歩くことにある。
一人旅こそ、吉村昭の小説の源泉である。
作家は、旅をしなくてはならない。
そんなことを、開高健も、書いていたことを思い出していた。
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2010年10月09日

重松清 「世紀末の隣人」


世紀末の隣人


重松清のルポルタージュと思って、買ったのであるが、本人曰く、
「ルポではない」
の一言が当たっている。
現代社会で起こった事件を、読み物としてまとめている。
確かに、旨い。
ルポと言うよりアンカーマンの仕事出る。
事実を追う迫力よりも、読み物として、読めるか?に、重点が置かれている。
まとまりのよさが、長所であり短所である。
確かに、読みやすいが、事件の迫真性を求める読者には、物足りないかも知れない。
世紀末。
悲惨庵事件の当事者を扱っているが、暗い感じがしないのが、重松清の持ち味である。
その持ち味が、発揮されている本出る。


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皮肉な中国初のノーベル賞受賞



経済的に台頭著しい中国。
最近、近隣諸国とこたごたを興している中国に、ノルウェーノーベル委員会が、冷水を浴びせた格好である。
この決定に関し、駐ノルウェー大使を呼びつけて抗議するなど、尖閣問題での日本に対するやり方と同じである。
大国主義を大上段に掲げている格好である。
確かに、超大国アメリカを並び証される国になったが、いまや、力で、国際社会を小会えることはできない。
中国政府は、時代錯誤に陥っている。
国よりも、小さい組織の方が権力・権威に対して強い。
そん名思いがした、ノルウェーノーベル平和賞委員会の決断である。
世界が見る目と中国が自分で見る目は、大きな違いがあることを、中国政府は認識しなければならない。
力で、言論を抑えることはできない。


中国で服役中の反体制作家、劉暁波ノーベル平和賞授賞
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2010年10月06日

ネットバカ

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

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ネットバカといっても、ネット社会への行こう葉、もはや避けがたい。
いかに、対処するかが問題である。
ネットの功罪を脳科学から見詰めている。
確かに、長い文章を飛んだりする能力は、ネットを見ることで、削がれていくであろう。
じっくり思索するよりも、検索していく。
それが、ネット社会である。
ネットが発展する事で、書籍(紙の本)は、衰退をしていくのであろうか?
私は、そうは思わない。
むしろ、紙の書物を読む人間と読まない、ネットで済ましてしまう人間の差は、開く一方ではないか?
そう考える。
何よりも、質感が紙の本にはある。
栄養剤で、事足りるか?
そうではなかろう。
やはり、実際、噛んで味わい、消化する事に、意義がある。
電子書籍には、この現実感がない。
今までが、紙の本は溢れ過ぎていたのである。
本は、再び、本に対して、出費を惜しまない人間の元の帰って来る。
ネットが、脳にもたらす影響は、わかった。
この次は、このネット社会のどう向かい合うかである。
一冊を読み通す事が出来ない人間の出現は、より、本を読む人間の優位性を高めることとなるであろう。
「ネットバカ」は、これから、恐ろしい勢いで増殖していく。
このネットが、脳にどんな作用をもたらすことになるか?
プラウザーを閉じ、パソコンの電源を落とし、この本をじっくり読んでみる。
別段、著者は、ネットを遮断しろとは、言っていない。
読んで、自分で考える。
そのためには、少しの時間だけ、液晶を切る必要がある。
便利なものを一つ得ると、大事なものを一つ失う。
この言葉が、私に、問いかけてくる。
後戻りは出来ない。
だから、どう付き合っていくか、今、考えるべきである。
そのための本である。
訳文でしか読めないのが、残念である。
翻訳を読むと、つくずくそう思う。
posted by 室津研 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

日垣隆「どっからでもかかって来い!」

日垣隆の知的喧嘩術の本。
いかに、日々喧嘩を楽しんでいるかが解る本である。
みずほ銀行員をやっつける話など、
(ここまでやらなくとも・・)
と、思わなくもないが、いかに相手をやり込めるか?
相手の負い目に立って、論争する。
それが、コツなのだそうだ。
勉強になりました。
論争に勝つ方法、いろいろ本はあるが、ここまで、簡単・明瞭に言い切ったのは、初めてである。
どんなことでも、理不尽な事は、許さないと言うのが、日垣隆のポリシーである。
中身は、日記であるが、何をもって読ませるか?
それは、たぐい稀な闘争力である。
日垣にとって、喧嘩は、知的ストレッチなのである。
日々鍛錬する。
どんな些細なことでも、知的ストレッチの道具にしてしまう。
それが、日垣隆である。
きちんと実名を挙げて、やっつけている。
もちろん、自分も実名。
決して、逃げ隠れしない。
「なんなら、表に出ようか?」
白日の下、闘争しようと、呼びかける。
そうすれば、大抵は、退散するらしい。
みずほ銀行・郵便局・ペリカン便など、巨大組織と日垣隆の闘争。
権威を傘に威張っている奴。
「おまえら、実は、中身が無いんだ!」
そう言いたげな、日垣隆である。
「相手が正しければ、素直に謝る」
そう、公言しているが、目下のところは、連戦連勝らしい。
日記体で書かれてある(日記です)が、緊張感をもって読めるのが、凄いと思います。
日々の日記で、ここまで読ませる能力・技術を持っているのは、日垣隆ぐらいではなかろうか?
旧態以前のものに対する嫌悪。
それが、文章から読み取れる。
フリージャーナリストとしての気概を見せ付けられる思いがした。
これだけの喧嘩士であるが、しっかり準備は、怠っていない。
駆け出し時代から名誉毀損に強い弁護士に月5万円を支払っていたこと。
相手のことを徹底して調べ上げるなど。
喧嘩の準備は、怠り無い。
喧嘩も、取材と同じで、自己投資。
だから、手間ヒマを惜しんでいない。
みずほ銀行が、アフリカの銀行をバカにすると、途端に、怒りのスイッチが入ってしまう。
理不尽に対する怒りは、地球規模である。
ものの見方が、普通の人間とは違う。
それが、日垣の雑文を面白くさせている原因ではないか?
少年犯罪や精神喪失の刑法の盲点をついたルポと、日々の雑文。
日垣の著作は、大きく二つに分かれるが、その根底に流れるのは、理屈に合わないことに対する怒りである。
「どっからでもかかって来い!」
の題名どおり、これからも、喧嘩は受けて立つようである。
だとすると、この「どっからでもかかって来い!」の続編は、日垣の怒りの拳が、上がらなくなるまで続く事となる。
案外、この怒りの日記は、大作になるかもしれない。


どっからでもかかって来い!―売文生活日記

どっからでもかかって来い!―売文生活日記

  • 作者: 日垣 隆
  • 出版社/メーカー: ワック
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本



posted by 室津研 at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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